2024年2月4日(年間第五主日)

ケン神父のメッセージ:

 皆さん、おはようございます。今日のミサのテーマは、苦しみについてです。私たちは日本に住んでいる信者たちも、1月の中で色々な災害と事故、お金を通しての生活がだんだんと難しくなってきているので、苦しみを感じますね。第一朗読の中で、ヨブは酷い病気を通して、信仰の試験のような雰囲気が表れます。その苦しみから解放されるために、誰を信じるか、悪魔か神様かというジレンマの内容です。イエス様も苦しみの雰囲気で登場しました。その内容は、ローマ帝国が国を侵略してきて、ユダヤ人たちをコントロールしましたので、神様について信仰が弱くなりました。その雰囲気の中で、ローマ帝国の力に、神様よりも従う人が増えました。ヨブのジレンマに似ていますね。そして、第二朗読で聖パウロは、イエス様も模範から学んで、異邦人の国々に行き、心の苦しみを解放するために、愛の生活を教えました。私たちも一人一人苦しみの誘惑に向かっていますね。今日の3つの朗読から、どのような方法で、自分の苦しみを乗り越えていくか忍耐をするべきか考えましょう。初めに、私は自分の苦しみの体験を分かち合いたいと思います。これは本当の話です。

 1977年、カトリック看護師として、ボランティアとして、韓国の国立らい病病院に行きました。他のカトリック信者の看護師バーバラと一緒に遣わされました。その病院は、韓国の南西の半島から離れた小さな島にある病院でした。韓国の地図をわかる人に説明をするとチェジュ道の島から船で3時間くらい北の方です。貧しい生活の雰囲気でした。ハンセン病患者さん3500人、医師4人、私たち看護師23人と事務所のスタッフが30人くらいいました。私はその時は若かったので、他の若い男性たちと寮の中で生活をしました。個人的な問題は食べ物でした。おそらく、朝ごはん、昼ごはん、夕ご飯と同じ内容でした。ちょっと食欲がなくなり、あまり食べませんでした。そのために身体が弱くなって、腸チフスにかかりました。朝起きて、死にそうでした。意識が無くなり、病院の船を通して、半島のカトリック病院に移動しました。三か月間入院していました。その病院は技術など医療資源が少なかったので、病気の源を発見するのに、時間がかかりました。身体はすごいスマートになって、シスターたちが無理にご飯を少しずつ6回に分けて、私に食べさせようとしました。そしてそのシスターたちは、アイルランドから来ていたので、ミルクティーを1日6回くらい持って来ました。私のお母さんもアイルランド人なので、その優しさは嬉しかったですが、実は私はコーヒーの方が好きでした。なので、その優しさで我慢しました。1回友人のバーバラが手紙で、何がほしいかたずねてきました。私はバーバラが来る時にコーヒーをお願いしました。私の状態はメリノール宣教を通して、お母さんに伝えられました。ある日朝、看護師たちが数人、私の病室に入って来て、「ケンちゃん大変です、ベッドを移動します。」と言って、エレベーターを通して、病院の玄関のところに連れていかれました。昔の電話のオペレーター室に行き、「電話が来ています」と伝えられました。信じられないですが、私のお母さんでした。お母さんの話や声を聞いて泣きました。そして、お母さんから色々私に質問をしてきました。何が必要か頼みました。私は本当にクレイジーなので、お母さんが美味しい「パイナップル・アップサイド・ダウン・ケーキ」が食べたいと答えました。2週間後に大きい段ボールに二つのケーキが届きました。その電話は愛の薬のように感じました。それによって、すごく心が回復しました。そして皆さん、今の電話の技術と違って、お母さんがその電話をするために、7時間かかりました。本当に奇跡でした。やはりお母さんの電話を通して、孤独な気持ちが無くなりました。そして回復のために頑張って、ミルクティーも飲みました。その3か月後に、船に乗って島に行き、12年間看護師の仕事を続けました。それが終わってから、神父になりたいと改心して、神学に進みました。よかったね。

 多分皆さんも、同じようなエピソードがあると思いますね。バーバラの友人の愛、お母さんの愛、島の病院のスタッフの愛、アイルランドシスターたちのケアのおかげで、私は苦しみを乗り越えることができました。今日の朗読からとイエス様模範から学んだことは、苦しみは無くならいことです。どうして、私たちに苦しみがあるのか?イエス様が答えられませんでしたが、苦しみを乗り越える為の方法を教えてくださいました。それはお互いを愛を通して、助け合うことです。それも私の体験です。苦しみと痛みがある時に、それに対する問題が表れます。その問題を解決するために、私たちの愛の業が必要です。例えば、お母さんの電話を通して、私の心は復活をしました。重要なポイントは、神様が周りの人々の代表として、ともに苦しみがあっても、一緒に存在を感じることが出来ることです。

 どうぞ皆さん、私たちは神様の愛を信じましょう。そして、イエス様の模範に従いましょう。それは愛の業を通して、周りの人々の苦しみからの解放を手助けすることになります。現代の私たちは、2000年前の人々よりも、生活の質がとても楽になっています。その弱点は、不便を嫌ってしまいます。忍耐力が低下していると思います。その雰囲気の中で私たちの信仰生活を気を付けていきましょう。それはヨブの時代と同じく悪魔の誘惑かもしれませんね。皆さん、悪魔と戦うために、愛を使っていきましょう。愛の源はイエス様です。祈りの生活を通して、イエス様の愛をいっぱいいただきましょう。そして、社会の苦しみを減らせるように、愛の業を使っていきましょう。

ありがとうございます。

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