2024年3月3日(四旬節第三主日)

ケン神父のメッセージ:

皆さん、おはようございます。今日は四旬節第三日曜日です。今、四旬節の心の旅が半分過ぎました。今日の福音は、イエス様の時代の神殿についてです。イエス様は、聖書によると三回だけエルサレムの神殿に訪問したそうです。1回目は、生まれてから40日後、父親ヨセフと母親マリア様が子どもの祝福をいただくために、神殿に行ったそうです。2回目は、イエス様が12歳の過ぎ越し祭りの時、両親から離れてしまい、恐怖で安全な神殿の中で待っていました。3回目は今日の福音の内容です。イエス様は、枝の日曜日にエルサレムに入場してから、神殿を訪問して、商人を追い出しました。詳しく理解するために、神殿の歴史を少し振り返りましょう。

最初の神殿はテントでした。それはモーゼと当時の神父たちがデザインしました。その中で、モーゼが造った契約の箱がありました。これは紀元前約1446年に作られたそうです。目的は、神様からいただいた十戒を守るためでした。そして、神様はさらに2つの御願いを通して、モーゼの杖とマナを守るためのボールを入れました。この3つの物を通して、神様がユダヤ人たちをエジプトの奴隷生活と砂漠の苦しみから救いました。ユダヤ人たちにとって、この3つは神様の存在でした。神様を忘れないように、旅をしながらいつもテントを立てて、そのそばに集まり祈りました。もちろん、その雰囲気は現代わたしたちが集まっているカトリック教会の礼拝堂と一緒です。異なることは、モーゼの時代に動物を、神様を賛美する為にささげました。

紀元前957年、ソロモン王様がモーゼの賛美の精神を通して立派な石で造られた神殿を建てました。そして、その中に、契約の箱を保存しました。外で信者たちと、非信者も神様を賛美する為に、動物をささげました。紀元前586年、バビロンの王様はエルサレムに侵略しました。そして、神殿を破壊しました。そして、国民を奴隷生活のためにバビロンに連れて行きました。この侵略の時に、不思議な出来事がありました。契約の箱が無くなりました。マカバイ記二2章でエレミア預言者が、山のほら穴の中で契約の箱を隠したそうです。今まで見つかりませんでした。バビロンの捕囚は、70年間かかりました(紀元前586~516年)。酷いネブカドネザル王がクーデターに遭い、優しいキュロス王が出て来ました。彼はかわいそうなユダヤ人たちを自分の国に開放しました。そして、生活のために、食べ物、お金、町を直すための道具を十分に与えました。エルサレムに戻って、最初に直したことは神殿でした。第二神殿は、紀元前515年に完全に建てられました。しかし、契約の箱は無くなってしまったので、代わりに当時の旧約聖書の大事な書き物を保存しました。その時から、神様の御言葉と、聖書という神様の存在を信じていました。私たちも聖書を尊重します。

この第二の神殿は、イエス様の時代までに存在しました。しかし、紀元前37年、ローマ帝国がイスラエルを侵略して、人々をコントロールするために、ヘロデ王が選ばれました。彼はお金持ちでした。国民の人気をあげるために、古い神殿をきれいに建て替えるための計画を立てました。この計画は紀元前19年から始まり、46年ほどかかったそうです。ヘロデ王は、建築家のような王様で、その時代にたくさんの建物を建てました。今でも、イスラエルに残っています。残念ながら、西暦70年、エルサレムのユダヤ人たちと、ローマの軍人たちとの戦いになってしまい、大きな戦争が始まりました。ローマのシーザーを通して、エルサレムを破壊するように言われました。ヘロデ王の神殿は、だいたい破壊されてしまいました。残っているのは、西の壁、入口、下のトンネルなどです。現在のユダヤ人たちは、残りの壁を「なげきの壁(wailing wall)」とニックネームを付けています。なぜなら、ユダヤ人たちは、とても寂しい出来事だったからです。

モーゼのテント、ソロモンの神殿、ヘロデの神殿の目的は、神様と祈りのためでした。それは楽園の雰囲気を表すためでした。今日の第一朗読のモーゼの十戒の目的は、私たちのために、神様と周りの人々のためのエチケットの教育のためでした。アダムとイヴは、そのエチケットのルールをやぶりましたので、楽園から追い出されました。彼らは神様のアドバイスよりも、悪魔のアドバイスに従ったからです。それは自分の利益のわがままの態度です。今日の福音の中のイエス様が商人を神殿から追い出す出来事は、そのアダムとイヴの出来事を繰り返しています。 彼らも神様の愛を受けるためではなく、動物の商売を通して、自分のお金の利益のために神殿に来ていました。その間違った態度を通して、イエス様が商人を神殿から追い出しました。

皆さん、今日の日曜日を通して、四旬節の半分が終わりました。今日の福音を通して、カトリック教会は、私たち一人一人の教会に通った目的を調査したいと思います。例えば、私たちは教会の建物に入りますが、何のためにミサに参加をしますか?との内容です。正しい心の状態は、神様を賛美する為です。2000年前に、イエス様が昇天された後に、聖霊降臨の祝日をとおして、カトリック教会が生まれました。すぐに、初期キリスト教信者たちは、神様を賛美するために、教会の建物を建てました。 しかし、ずっとずっとアダムとイヴの問題と同じことが、私たちにも続いています。それは、私たちの心は分かれているからです。有名な神父は、いつか面白い格言を言いました。「神様が祈りのために教会を建てますが、悪魔もその中に自分の栄光のために小さなお御堂を造ります。」それは、私たち原罪の運命の源です。私たち神父たちも、信者たちも、心が分かれています。悪魔の誘惑を通して、教会のよい場所に悪いことも持って来ます。それは今日の福音の出来事と同じ状態でした。

  実は、私たちの心は新しい神殿です。イエス様の受難のおかげで新しい心を頂きました。しかし、同時に悪魔が神様の敵として、自分の栄光のために、私たちに誘惑を押し付けてきます。悪魔の誘惑に落ちれば、わがままな態度に溢れて、私たちと神様のよい関係にヒビが入ります。四旬節の時期は、そのヒビを直すための時間です。直す方法は、自分の楽しみのためよりも、神様の賛美と周りの人々の生活の質を高めるために、時間と愛を使うことです。

  私は、この教会に参加する姿勢について少し考えました。もちろん、私たちの日曜日のミサに参加する義務は、モーゼの十戒の第三番です。その源は、創世記の物語です。皆さん覚えていますか?6日間、神様が一生懸命、宇宙、地球を創造してから、太陽と水と動物、植物、最後に人間を創造しました。そして、7日目に休まれたそうです(創世記2章3節)。しかし、私は考えると、神様は力持ちなので、全てを創造したから疲れたと理由ではないと思います。7日目は自分が造られたものを、愛を通して鑑賞するために、確認しました。私たちは、神様の愛を感じて、カトリック信者になりました。その態度をとおして、私たちは日曜日にミサに参加をして、神様に命のプレゼントに対して感謝を表すべきです。

どうぞ皆さん、イエス様の素晴らしい態度を見習って、天のお父様と周りの人々を愛を通して、日々の人生を過ごしましょう。そして、心から悪魔を追い出しましょう。

ありがとうございます。

Sapporo Catholic Mass Community

Cathedral of Sapporo Diocese Guardian Angels Catholic Kita-Ichi-Jo Church Mass time and homily

0コメント

  • 1000 / 1000