2024年4月14日(復活節第三主日)

ケン神父のメッセージ:

皆さん、おはようございます。今日は御復活の第3日曜日です。今日のテーマは、どのようにキリスト教信者が互いに認めるか、です。このテーマについて話したいと思います。

社会では、服装を見て人の役割がわかる時がありますね。私の祖父は警察官でした。家を訪問した時に警察の服を着ていて怖かった思い出があります。教会の中でも服装をみてわかることがありますね。例えば教皇様は白い服を着て、枢機卿は赤い服装を着ます。そして司教様は紫の服を着ています。今は勝谷司教様が教皇様に会うためにアルミナ会議に行っています。修道会の神父、シスター、ブラザーは様々な服がありますね。しかし1965年、バチカン公会議の後で、修道会の制服は少し変化がありました。特にシスターたちです。その時は私はカトリックの小学生でした。ある日、修道会のシスターたちは新しい服装を着てきました。私たち学生は、驚きました!初めシスターたちの髪の毛と足を見ることができました。それまでは顔と靴しか見ることができなかったからです。学校終わってから家に走って帰り、お母さんに、シスターたちは髪の毛と足があります!と言いました。実はそのときある修道会は制服を捨てて、普通の服装をしていました。目的は普通の信者たちと同じように平等であることを示すためです。聖心会のシスターたちは特に普通の服装をしていました。同じく、ある神父たちもローマカラーの制服を捨てて代わりにネクタイとスーツを着ていました。それはネクタイ神父たちと私たちは言います。おそらく私のメリノール宣教会の先輩であるライヤー神父もそうです。私はネクタイ時代の後で神父になり、教会のイベントの時にローマカラーを着る習慣を学んできました。神父が制服を着ることは周りの人々への模範を示すためですが、日本ではそれを着てもわからない人が多いです。しかし、最近私は1年に1回ローマで新しい仕事があるので、バチカンへ行った時にローマカラーを着たら、スイスガードが敬礼をします。その時楽しい気持ちになります。これは500年前にミケランジェロが造った教皇様を守るための警備員です。私の職場である天使大学では、学生達と職員、教員がわかるように職員はスーツ、教員は白衣を着る文化があります。12年前に少し寂しいことがありました。日本の病院で看護キャップをかぶることを止めました。理由は衛生的な問題とピンで髪の毛がなくなったり、時には患者さんにキャップを捕まれてしまうからです。昔はキャップのクリーニングサービスがありましたが、現在は無くなりました。その結果、現代の病院は、誰が看護師で誰が他の医療スタッフなのか区別がつかないジレンマがあります。医師たちも同様です。服は公の身分を示すものでありますが、実はその人の中身を示すものでもあります。

今日の福音の中で弟子たちが、御復活されたイエス様を理解するためのジレンマがありました。最初にイエス様をお化けだと思いました。しかしイエス様の十字架で受けた傷を見て、イエス様であるとわかりました。実はその傷はイエス様が人類の罪を乗り越えるために受けた傷です。もちろん、それは私たちへの愛のために受けた傷です。このすばらしい箇所を通していろいろなことを学んでいけます。例えば、他の人のために我慢する苦しみは愛です。私たちみんな子供の時に同じような体験をしたと思います。学校から戻ってお母さんが私たちのために美味しい食べ物を作ったり、お父さんは私たちを養うために夜遅くまで働いたりしていたと思います。私たちの両親は、私たちのためにいろいろな苦しみを耐えて来ました。

兄弟姉妹の皆さん、イエス様が天国へ昇天されたat後で、私たちの任された仕事は愛を示すことです。私たちの愛を通して周囲の人々が神様の存在を知ることができます。イエス様のおかげで天のお父様は私たちの罪を赦されましたので、これから愛のある生活を過ごすべきです。愛は憎しみに勝ります。希望は絶望に勝ります。光は暗やみに勝ります。そして神様は悪魔に勝ります。そのために私たちは愛の生活を送ります。御復活のときにイエス様は悪魔に勝ちました。悪魔のしもべ生活から私たちを自由にしました。ですから御復活の後は、アレルヤの雰囲気です。アレルヤはギリシャ語で、神に感謝という意味です。どうぞ皆さん、3回アレルヤを唱えましょう。アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ!

金曜日に私は北1条教会で素晴らしい体験をしました。少し不思議な体験でした。フィリピンの夫婦が今シンガポールで働いています。金曜日は結婚10周年でした。それを祝うために私に連絡をくださり、記念のミサを行いました。フィリピンから家族も来て、2人の子供がいました。息子は10歳ですが、ADHDでした。彼は自身のボディーコントロールが難しいようでした。また娘は小さな天使のような3歳の子でした。ミサのためにママと一緒の白色の結婚服を着ていました。素晴らしいことは、ミサの間の中でお兄ちゃんを静かにするために、妹さんがお兄ちゃんの手を握ってお兄ちゃんと静かにミサを過ごしたことです。そして説教の後で結婚の誓約を自分の言葉でお互いに言いました。そしてお母さんは泣きながら神様に、素晴らしい息子と娘のために神に感謝します、と言いました。私はこの話を聞いて、今日のイエス様の福音の中で出てくる雰囲気を感じました。傷があっても人間には同じ尊厳と価値があるということです。考えると、この大切なことを教えるために、御復活の際に傷のままで出てきたと思います。やはり傷は愛のしるしです。

どうぞ皆さん、私たちカトリック信者であることを示すために、周りの人々に傷があっても、神様が愛する1人の人間として尊重して愛しましょう。ですから私たちには服装があります。愛がその服装です。それはイエス様とマリア様が着ている服です。神様が旧約聖書の時代から私たちの罪を理解しましたが、私たちの弱点だけではなく、本物の善い一面も理解し、信じて2000年前に悪魔の生活から解放するために救ってくださいました。私たちも周りの人々の悪い習慣があってもその内面の善さも見出だしてイエス様の模範に見習って愛を示しましょう。

ありがとうございました。

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